秋学期・対面ゼミ再開しました!

河野ゼミは本日から対面でのゼミを再開しました!

いつもより広い教室を使用し(と、言っても18期の私は”いつもの教室”というのを知らないわけですが…)、ソーシャルディスタンス&マスク着用等のコロナウイルス対策も徹底しています!

今回は各々の近況報告や、先生が最近発表された論文についての議論などを行いました。みなさんお元気そうで何よりでした!

エッセイ ~『政治を科学することは可能か』を科学することは可能か~

こんにちは!

18期の金澤です。

今回は、安倍内閣の終焉と菅内閣の誕生を受け、私が以前ご紹介した河野先生の著書『政治を科学することは可能か』に掲載されている研究の内容を踏まえ、考察してみたいと思います。

①安倍首相の辞任発表と支持率急上昇

今回、安倍首相が辞任を発表した直後に、それまで低迷していた内閣支持率が20%近く急上昇したという報道がありました。この支持率回復の減少の要因として、辞任発表の潔さが評価されているとか、体調を労る見方が強まったからだという見解があるようです。

https://tokuho.tokyo-np.co.jp/n/n9a259f500d95

しかし、私はこれについて、別の解釈も可能なのではないかと思います。以前コラムにも書きましたが、河野先生の「なぜ安倍内閣の支持率は復活するのか」(2015)という研究では、基本的には安倍政権の安保法制の方針に賛成である人々が、安保法制に対する安倍政権の説明努力不足などの細かな問題に冷や水を浴びせるように、一時的に不支持的な態度に回っているのではないか、だからこそ時間が経てば支持率は回復するのではないか、という研究結果が発表されています。

この観点と、今回の辞任直後の支持率急上昇を結びつけることは出来ないでしょうか。つまり、基本的には安倍政権に比較的支持寄りである人々が、コロナ禍での安倍政権の対応を問題視したため不支持に回っていたものの、辞任発表を受けて急遽支持に再転換した、という見方が出来るのではないか、と考えます。これについて、地震や津波などの天災が発生した際に、その責任を政治家に転嫁する形で支持率が低下する現象は「シャークアタック現象」と呼ばれ、政治学的にその実在が確認されています(河野ゼミのOBに、その研究をされていた方がいます)。昨今のコロナ禍も天災として考えれば、辞任発表前に安倍政権の支持率が低迷していたのは「シャークアタック現象」が原因ではないか、と推察することが可能なのではないでしょうか。

もちろん、上記の見方はただの憶測に過ぎず、これを正確に立証するにはより精緻かつ軽量的な分析を行う必要があります。あくまで、世間一般的な見方とは少し違う視点を投じる目的で書いたものとお考えください。

②憲法改正と安倍政権

安倍政権は、その成立時から目標の一つに憲法改正を掲げていましたが、結局辞任までそれが達成されることはなく、そもそも国民に対して憲法改正が大々的に提起されることもありませんでした。なぜ、安倍政権は憲法改正を提起するのに最後まで二の足を踏んでいたのでしょうか。

これについても、河野先生が「何が憲法改正を躊躇させるのか」(2013)という研究で、考察をされています。この研究では憲法改正の賛否を問う複数の質問をウェブ上の回答者に投げかけ、その結果、回答者の憲法改正に対する支持態度は、その質問内容や時期の経過によって変化する不安定なものであるという結論が導き出されています。

ここで、私は新たな視点を提起したいと思います。それは「回答者はそもそも憲法改正についてよく理解していない可能性があるのではないか」というものです。日本国憲法とは何か、憲法と法律の違いは何か、というのは中学校の公民の授業で学習しますが、それを大人になっても正確に記憶している人はどの程度いるのでしょうか。政治経済学部に入学するほど政治に関心のある人であれば当然記憶しているかもしれませんが、一方で社会人でありながら憲法と法律の違いもよく理解していないような人も一定数いると考えられます。上記の研究においても、そういった人が憲法改正に関する質問を投げかけられ、何が何だかよくわからないまま回答している可能性があります。

つまり、憲法改正に対する支持態度が不安定なのは、そもそも回答者の憲法改正に対する理解が浅いのではないか、という要因も考えられるのではないでしょうか。安倍政権は、そういった憲法改正に対する国民の理解状況を鑑みてなかなか言い出せないまま、コロナ禍が始まって憲法改正どころではない事態に陥って遂に辞任した、という可能性もありうるものと思います。

これも、あくまで憶測に過ぎません。憲法改正の賛否について、基礎的な憲法理解に対する質問を組み込んだ実験をすれば、あるいは立証出来るかもしれません。

以上、ここまで憶測の駄文を書かせていただきました。

今まで私のコラムをお読みいただき、誠にありがとうございました。

たろうエッセイ その2 ~ポルポト政権についての考察~

こんにちは!

18期の金澤です。

今回は、歴史に基づいた理論的考察をしてみたいと思います。

皆さんは、かつてカンボジアに存在したポルポト政権をご存知でしょうか。その指導者であったポルポトは、知識人を中心に数百万人ものカンボジア人を殺戮したことで知られています。

これだけ聞くと、ポルポトはなんて冷酷で残虐な心ない人物なんだろう、と思われるはずです。しかし、ポルポトの最晩年のインタビュー映像を見ると、その印象が180度変わります。

「私が残酷に見えるかね?私には平穏な心があるんだよ」と語るポルポトの表情は真剣そのもので、心優しそうな一人の老人にしか見えず、とても数百万人を殺戮した残虐な政治指導者だとは思えません。

ポルポトの恐ろしい所はここです。彼は、自分の行動は優しさと思いやりに基づいている、自分の行動はカンボジアをよりよい国にして、カンボジア国民のためになると本気で考えていたのです。彼が知識人を中心に虐殺を行ったのは反逆を恐れていたからだと言われていますが、自分の行動は善意で正しいのだから、立て付く可能性がある人物は全て抹殺して構わない、そうせざるを得ないと思っていたのでしょう。残虐で心ない独裁者だと思われがちなポルポトですが、実際にはその心は盲目的な善意の感情で満たされていたのです。

ここから分かることは、優しさや思いやりといった形而上的な感情は、全くもって当てにならない概念であるということです。もちろん、社会生活を営む上でそうした善意は大切なものですが、「良かれと思ってやった」「みんなのために行動した」などという、自分の善意を信じて疑わない盲目的な人物の行動が悲惨な結末をもたらすことは、歴史が詳らかに物語っています。満州事変の首謀者である石原莞爾も、満州事変を起こして満蒙を占領する事が日本のためになると考えていたとされていますが、実際にもたらした結末は日中戦争と太平洋戦争と無数の人々の死という、凄惨たるものです。

こうした感情に基づく暴走を抑えるために生まれたのが、法と秩序です。昨今のコロナ禍での自粛警察もそうですが、盲目的な正義感や善意に基づく行動が人権を侵害することを阻止するために、法と秩序が存在しているのです。

しかし、ポルポト政権下のカンボジアでは法と秩序すらも彼の支配下だった訳ですから、法と秩序が全ての場合において有効であるとも限りません。

そうなると、結局残るのは客観視と実力行使の重要性です。ポルポトが自分の善意を客観的に見つめ直していれば、カンボジアの虐殺は起こらなかったかもしれません。そして、ポルポトは最終的に実力行使によって指導者の座から引きずり下ろされ、その終焉を迎えます。

実力行使というのは最悪の事態であり、双方ともに血を流すことになりかねません。つまり、まず重要なのは客観視です。自分自身の心情や行動を客観的に見つめ直すこと、「自戒」することは、きっとどんな時でも重要なのだと思います。自分の行動が行き過ぎていた場合に、引き返すきっかけになるかもしれません。私自身もそれを肝に銘じて、今後生きていきたいと思います。

哲学を専攻していない私がこんな猿真似を語る器でもない気がしますが、それでもここまでお読み頂き、ありがとうございました。

たろうエッセイ その1 ~「政治」と「政治学」の違い~

こんにちは!

河野ゼミ18期の金澤です。

今回は、「政治」と「政治学」の違いについて、私なりの考えを書かせて頂きたいと思います。

そもそも、河野先生が仰っている事として、「政治学的に考えるということは、政治的に考えるということと全く異なる知的営為である」というものがあります。政治と政治学、たった一文字の違いですが、なぜ異なる概念と言えるのでしょう。

まず、私が政治経済学部の政治学科を志望した理由は、元々時事問題や政治問題に関心があったからでした。しかし入学してみると、政治理論入門(現在は公共哲学という名前です)で「政治とは何か、権力とは何か、自由とは何か…」というような抽象的な理論を徹底的に叩き込まれ、思っていた政治の研究と違う、と面食らいました。このとき、自分が学んでいるのは「政治」ではなくて「政治学」なのか、と気づかされました。

一方、河野先生の政治分析入門の授業では、そういった古典的な政治哲学よりも、より現代の政治に近い分析内容を扱っていました。その内容は現代政治の事象を政治過程論、投票行動モデルと言った理論的な所に落とし込んだものです。

ここには決定的な違いがあります。アリストテレス、ロック、ルソー、モンテスキュー、ロールズといった古典的政治学者達の哲学的理論や、彼らの理論を研究することは「こうするべきである」という理論、つまり規範的理論と言えます。一方、現代政治の事情を理論に落とし込むのは「こうなっている」という理論、つまり経験的理論なのです。理論的な内容、またその理論に基づいて検証を行うことは政治学的であると言えるのだと思います。

ところで、「政治」という概念を「政治学的」に捉えると、人間社会における集団的意思決定だとか、権力を用いて従わせる事が政治である、というようなことになります。これは抽象的、理論的であり、なおかつ「客観的」な見方です。一方、「政治」という概念を「政治的」に捉えるとどうなるのでしょうか。ここで、現代でもカリスマとして名高い田中角栄元総理の演説を引用したいと思います。「政治は生活だ」という言葉をモットーとしていた彼は、新潟県の山間部にある60戸の小さな村に12億円もの費用をかけてトンネルを掘る工事を推進し、その完成記念式典でこのような発言をしています。

「このトンネルについて、60戸の集落に12億円かけるのはおかしいとの批判があるが、そんなことはないっ。親、子、孫が故郷を捨てず、住むことができるようにするのが政治の基本なんだ。だから私はこのトンネルを造ったんだ。

トンネルがなかったら、子供が病気になっても満足に病院にかかれない。冬場に病人が出たら、戸板一枚で雪道を運んで行かなきゃならん。同じ日本人で、同じ保険料を払っているのに、こんな不平等があるかっ」

お分かり頂けるでしょうか。「政治」についての理論的な解釈と、田中角栄の「政治」についての解釈ではその内容は大きく異なっています。

田中角栄は最終学歴が旧制小学校、現代で言えば中卒に相当する経歴の人物です。政治学について彼が学問として学んだことは恐らくほぼ無かったでしょう。この「政治とは生活を守ることだ」という彼の演説は、学問としての政治学を知らない彼が、政治家としての長年の経験によって見つけ出した、彼の中での「政治とは何か」という問いに対する答えと言えるでしょう。その意味でこれは「主観的」な意見と言い換えることが出来ます。

辞任を表明した安倍首相の業績を「主観的」に捉え、安倍首相は優秀だった、あるいは首相失格だったと批評するのは「政治的」な見方です。一方、安倍首相在任中の事情やデータを「客観的」に捉え、理論に落とし込んで研究することは「政治学的」な見方と言えます。先日私の記事でご紹介した通り、河野先生も安倍政権に対する研究を発表されていますが、それは後者に相当するので「政治学的」なのです。

もちろん、政治を主観的に捉えることが「政治的」で、政治を客観的に捉えることが「政治学的」などと一概に言えるものではありません。ですが、ここまでお読み頂いた上で、「政治」と「政治学」の違いについて考える手助けになれたなら幸いです。

お読み頂きありがとうございました。

〈参考文献〉

松田賢弥「田中角栄、最後の言葉『政治家は誰のためにいるのか』」現代ビジネス(最終閲覧日:2020年8月31日) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50055?imp=0

幹事長・かな、河野ゼミについて語る

こんにちはー!
先日の規範と経験の話を読んで、ゼミについて思ったことを綴ろうかと思います。

先日の話というのは、「河野ゼミの学問領域は規範的議論ではなく経験的議論が中心です!」という内容でした(8/24更新のコラム参照)。
これだけ聞くと「どれだけ冷徹で理詰めで論理重視で無慈悲で……非情なゼミなのだろうか」と思う人もいるかもしれません。私が思うに、これは半分正解で半分不正解です。

まず正解の側面についてお話しますね。
ゼミで中心に扱っている経験的議論は、ある意味非情かもしれません。客観性が大事だからです。例えば実証分析は、ほとんどのゼミ生が取り組みます。これは主観を排除して客観性を高め、説得力のある議論をするためのツールなので、感情論を持ち込んでは意義が薄れてしまうのです。あくまで経験・データと向き合い、何らかの示唆を導き出します。
ちなみに河野先生は、(客観的)「政治学」者を引退するまでは(主観的)「政治」に関わらないようにしていて、選挙の投票に行かないそうです。これぞプロ意識……。
まとめると、河野ゼミでの授業や研究は主観を排除して行うため、感情は持ち込まないようにしています。

次に不正解の側面です。こちらの方を強調したいです!
学問領域以外は全く非情ではありません!むしろ人情味が溢れすぎていておぼれてしまいそうです(おっと、素が出てしまった)。学問領域以外というのは雑談や合宿(今年は未実施ですが)、飲み会などの、政治学をしている以外のあらゆる場面です。
例えば、先生は威張らずに細かいことにも感謝を伝えてくださいますし、先輩方は私たちのためにゼミや就活のアドバイスやサポートをしてくれますし、同期LINEは思いやりにあふれていますし……ここらへんでとめておきます(笑)
とにかく、自分も他者も大事にするような、EQ(心の知能指数)の高い人が多いイメージです!

ここまで長々と語ってしまいましたが、少しでもゼミのイメージがわいたでしょうか?
私は「感情のメリハリ」を河野ゼミの魅力のひとつとして伝えたかったです。授業では客観的で鋭い意見が出ます。しかしそれ以外の場面では実にエモーショナルです、エモいです、青春です。この両方を兼ね備えているのがポイントですね。感情のない、思いやりのない人から意見を言われても、それがいくら的を射ていたとしても、少し怖いですよね(笑)鋭い、時には厳しい意見の裏にも優しさがある。だからこそそこに信頼が生まれ、いい研究、社会人としての成長につながるのではないでしょうか。
私も偉そうに語っておいてまだまだです。論理的で客観的な思考も、人格も、もっと磨かなければと思っています。この2つを両立したい!と思う2年生、河野ゼミを選択肢に入れて検討してみてくださいね!

【Web担当からコメント】

さすがは幹事長!みんなが伝えたかったことをうまくまとめてくれました…。分析はクールに、人間的にはウォームに、というメリハリが河野ゼミの魅力です。これは私たちがこのゼミを通して日々学んでいることでもありますし、将来社会に出るうえでも大事なことだと思っています。

知的にも人間的にも成長したいあなた、ぜひ河野ゼミへ!

志望者の皆さんからのよくある質問に答えます!

はじめまして!河野ゼミ18期Web担当の川添です!

これまではWeb担当は黒子っぽいほうが面白いかなと思っていましたが、今回は実名出してみました。キャラ迷走中です…。

今回は、志望者×ゼミ生の座談会で多かった質問について私の独断と偏見に基づいてお答えしてみようと思います(いいのか?)。

よくある質問その1:そもそも河野ゼミとはどのような学問領域についてのゼミなのか?

これについてはWebシラバス(2020年度版:https://www.wsl.waseda.jp/syllabus/JAA104.php?pKey=110100Q755012020110100Q75511&pLng=jp)をご覧いただくのが一番正確だとは思うのですが、私からはいくつか補足的な説明をさせて頂きたいと思います。

第一には河野ゼミは基本的には規範的議論(『べき』論)ではなく経験的議論(『である』論)をあつかうゼミであるということです。入門科目で言うと大まかには「公共哲学」or「政治理論入門」が前者の分野に、「政治分析入門」が後者の分野に相当すると考えてもらうとわかりやすいかと思います。ただ規範的議論と経験的議論は相互に関連しあう部分も少なからずある以上、経験的議論を主な対象とするからといって規範的な問題について考える機会は全くない、などということもありません。

第二に河野ゼミで卒論等の対象にできるテーマは「現代日本政治の諸問題」というテーマにかかり、実証的分析の対象になりうるものであれば基本的には自由です。卒論では「R」等のソフトウェアによる統計分析が用いられることが多めですが、過去にはケース・スタディの手法による研究を行った先輩もいらっしゃり、研究手法についても広い自由度があるといえるかと思います。

よくある質問その2:ES、面接の対策は…?

実をいうと我々にもよくわからない、というのが正直なところです…。ホントに。ただおそらく確実に言えることとして、河野ゼミのES・面接においては自分の人柄や政治学的な疑問へのパッションについて、ウソや矛盾なくストレートに伝えることが大事であるということです!

自分はどのような人間か?これまでどんなことをやってきたか?どのようなことに興味があるか?などということについて、まっすぐに芯を通して一貫性をもって語れることが望ましいと思います。はじめはとにかくESを一所懸命書いてみてください。そうすればおのずと上に書いたようなポイントが明確に浮かび上がってくると思います。

そして面接本番では、不必要に取り繕わず自然体で臨むことが大事です。掘り下げた質問が投げかけられることもあるため、ESに書いた内容については「なぜならば…」をきちんと説明できるよう事前に準備しておくとよいかもしれません。

(と、ここまで偉そうに書いてみたもののこれを1年前の自分が本当にちゃんとできていたかと問われるとウッ…という感じではありますが…)

何はともあれ、みなさん気負い過ぎずにファイトです!

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さて、今回はよくある質問について簡単にお答えしてみましたが、いかがだったでしょうか?

みなさんが疑問や不安に感じていることについて少しでも参考になれば幸いです。

以上のような内容に限らず、なにか疑問点があればゼミ公式Twitter(https://twitter.com/kohnosemi2020)のDMも開放しておりますので、いつでもお気軽にお問い合わせください。

それでは!

副幹事長・たろうによる河野先生の研究紹介

※2020年8月25日追記:一部記述に不正確な点があったため修正しました。

はじめまして!

河野勝ゼミ18期副幹事長の金澤です。

おそらく今後みんな各々の個性あふれるコラムを書いてくれると思うので、私は我らが河野先生の研究を紹介するコラムを書きたいと思います。

これは先生からの指示とかで書いている訳ではなく、勝手に先生の過去の研究を読んで独断で書いています。

先生、もし私の理解力不足により見苦しい点があったら申し訳ございません。

①『日本の中選挙区・単記非移譲式投票制度と戦略的投票』(2000)

https://doi.org/10.14854/jaes1986.15.42

一つ目は河野先生が青山学院大学助教授時代に書かれた論文で、先生が多くの実績を残しておられる選挙の投票行動についての研究です。

現在の衆議院議員選挙では小選挙区比例代表並立制が用いられていますが、1993年までは、選挙区一つ当たりの対象地域と議席数がより多い中選挙区制だったことはご存知の方も多いと思います。この中選挙区制のもとでは、選挙区の定数が3人であれば4人の候補者、定数4人であれば5人の候補者によって競争が繰り広げられるという「M+1の法則」を、スティーブン・リードとゲイリー・コックスという2人の政治学者が提唱しています。

このM+1の法則をより詳細に検証したのが、河野先生の2000年の論文です。

中選挙区制が採用されていた当時の自民党・社会党・共産党といった政党は、イデオロギーや社会的評価が各々大きく異なっています。河野先生はこの点に着目し、当選しなかった次点候補者と次々点候補者の所属政党の統計を取り、次点候補者の所属が自民党・社会党の場合と共産党の場合、また次々点候補者が自民党・社会党の場合と共産党の場合とでは得票差に大きな違いがあることを明らかにしています。

このような緻密な計量分析による社会科学的研究こそが河野先生の真骨頂であると、個人的には思っています。

ちなみにこの論文に、「デュベルジェの法則とM+1の法則とのアナロジーは、しかしなが ら、ここで終わらなければならない」という一節があります。この「しかしながら」の使い方は、よく考えれば英文のhoweverと同じです。海外経験が豊富な河野先生らしさを感じる事ができますね。

②『他者への支援を動機づける同情と憐れみ』(2015)

https://doi.org/10.7218/nenpouseijigaku.66.1_61

この論文は河野先生が武蔵野大学法学部の三村憲弘先生と共著で書かれたもので、河野先生の著書『政治を科学することは可能か』にも掲載されています。

哲学者として著名なハンナ・アーレントの「同情は共感を伴う”感情”で、憐れみは観察者としての非対称的な”感傷”である」という規範的理論に基づき、そのような道徳的直観が実際どのようなメカニズムで作用するか、「先進国と発展途上国」、「日本とアフリカ」、「1人と多数」というような複数の構図に当てはめ、経験的検証を行っているのがこの論文の研究です。

特筆すべきは、この検証において、ウェブ上で回答者を分割して質問を変える特殊なアンケート調査が行われている事です。この手法を河野先生はサーベイ実験と呼んでいますが、研究者としては既にベテランの域に達していながら、このような先進的な手法や見方を常に取り入れているのが河野先生の凄い所です。

この論文は、政治学というよりはどちらかといえば哲学や心理学に近いものだと思いますが、そうした分野においても政治学で培われた先生の研究手腕が遺憾無く発揮されています。河野先生のご見識と探究心の広さが感じられますね。私はこの論文を読んで、アーレントを始めとする哲学や心理学もより勉強してみたいと思いました。私の興味関心をいつも掻き立ててくださるのが、河野先生です。

対外的支援に関連して、卒論としてODAに関する研究をしているゼミ生もいます。河野ゼミでは現代日本政治に関する事であればどのようなテーマで卒論を書いてもOKです。

③『なぜ安倍内閣の支持率は復活するのか』(2017)

この論文は2017年に中央公論に掲載されたものですが、河野先生の著書『政治を科学することは可能か』にも同じく掲載されています。また、2019年の朝日新聞の河野先生へのインタビュー記事(https://www.asahi.com/articles/ASMCL4R2LMCLUTFK00S.html)でも、その内容を知る事が出来ます。

この論文では、先ほどと同じくウェブ上でのサーベイ実験を用いて、回答者の安倍政権に対する支持態度を分類し、それぞれ安保法制という具体的政策に対しどのような評価を示すかを計量分析する事で、安倍内閣の支持率が回復する謎を解き明かしています。私はゼミの選考前に『政治を科学することは可能か』でこの論文を読んで、自分も河野ゼミに入ってこういう研究がしてみたいという思いを抱きました。安倍内閣という現代日本政治の身近なテーマを扱った研究ですので、ぜひ皆さんも『政治を科学することは可能か』をお手に取って読んでみて下さい。河野先生の研究者としての頭脳明晰さを感じて頂けると思います。

④『コロナ危機と政治家のリーダーシップ調査』(2020)

https://www.nikkei-r.co.jp/column/id=7231

最後は3ヶ月前に日経リサーチに掲載されたばかりの非常に新しい研究で、現在のコロナ禍の下で、安倍首相、西村経済再生担当大臣、小池都知事、吉村府知事といったメディアでよく見かける政治家たちがどの程度リーダーシップを評価されているのかを調査したものです。この調査はあくまで統計的な視点で、実際どのような要素がリーダーシップの評価につながるかというのは今後の研究が待たれる所ですが、コロナ禍が始まったばかりの5月に真っ先にこの調査を発表された所に、河野先生の凄さがあると思います。

コロナ禍に関しては、現在卒論としてまた違った視点での研究をしているゼミ生もいます。現在進行形で起こっている社会問題ですから、河野ゼミに入って研究をすればこれを読んでいる皆さんも政治学研究のパイオニアになれるかもしれませんよ。

いかがでしたでしょうか。私も1人のゼミ生ですから、河野先生のこれまでの研究を遍く理解しているなどと到底言える立場にはありませんが、河野先生の研究を少しでも知って頂き、河野ゼミに関心を持って頂けたらと思います。

ここまでお読み頂きありがとうございました!

【Web担当からコメント】

副幹たろうから河野先生の業績紹介でした!

以上からもわかるように、河野先生は政治学の様々なテーマについて精力的な研究をされている研究者です。本ゼミではそんな先生の下で自分の政治学的関心について深く自由に探求することができます。面白そうと思ったあなた、ぜひ河野ゼミにエントリーを!

ゼミ生紹介! ~Twitter担当、せいやの場合~

どうも!Twitterの中の人兼河野ゼミポケモン大好きクラブ副会長のせいやです!
会長は一個上のクリリンのことかぁ!!!(初っぱなから内輪ネタぁ!!)
はい、すみません。
ポケモンはゲームもアニメも好きです。青のゴルバット、グッズ化しませんかね。あいつをエース育成して四天王とチャンピオンのフシギバナをシバき倒したのはいい思いでです。

気になる人は、ポケモン 青 ゴルバットで検索してみてね!

アニポケだと、特にアドバンスジェネレーションとダイパには青春がつまってます。
「バトルフロンティア」最高ですよね!
「Together」も!
カラオケで必ず歌います。
サンムーンはOPどれもよくて泣かされ続けました。Realの未来コネクションが、もう、ベベノム視点からの歌詞じゃんばかぁ!っとネクロズマ編の最後に気づき涙。一昨年の夏はしばらくベベノムロスしてました。
サトシvsククイ博士のラストバトルの最後にカプコケコZをピカチュウZでふっ飛ばしてカプコケコとククイくんがサムズアップで溶鉱炉に沈むシーンなんて、涙無しには見れなかった。(え?そんなシーンないって?)
Z技の演出(影のつけかたとか、口上とか専用Zのポーズとか)ヤバイっすよね。サトシの1000万ボルトは、ピカチュウとの友情を感じまくって見るだけで泣きそうです。なんすか、あれ。帽子をピカチュウに被せて拳でタッチ。しかもむっちゃ笑顔。反則やろ泣くわそんなの。

そして始まった新シリーズ!
新無印とでも言うべきポケモンでは、リスペクトのつまったOPに泣かされ、最近のOP映像ではまさかのアローラ組が登場!!?
サトシの手持ちもだいぶわかり始めてきてるし(種族値的な?)リオルもあれ多分メガ進化フラグたったよね!
今後も目が離せません。

何なら今年のポケモン映画は異例の冬!!(PVだけでもう泣けるからYout○beで見てみてください)

と、このマジでうわぁガチもんのオタクぅ…なのが、ポケモンマスターになるために河野ゼミに入った僕です。高校時代にイスラエル住んでたりもしました。
僕関連の内輪ネタはほとんどがイスラエルなので、さんざんポケモン推しましたけど、イスラエルを知っていれば大丈夫です。

あ、この人がイスラエルか。と思っていただけたら幸いです。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!

【Web担当からコメント】

…………… 何が何だか わからない ……………(゜Д゜) こ、このように、河野ゼミは自分の興味を追求することに一途な人の多いゼミです。(これは本当!)それぞれ関心のある対象は違っても、お互いの熱意を認めあえる集団っていいものですよね。そんな仲間が欲しいあなた、ぜひ河野ゼミへ来たれ!!!

河野ゼミ志望者のみなさんへ

こんにちは!

Web担当の者です。18期としては初めての投稿になります。

さて、ただいま河野ゼミでは新入生リクルートの真っ最中です!が、志望者のみなさんとの座談会でゼミの実際の雰囲気をつかんでもらうことがなかなか難しく、頑張って伝えようとするとやや内輪ノリが激しくなってみなさんを置き去りにしてしまいがちになることに困っていました…。

そこで、ゼミ申請期間開始までのあいだこの学生コラム機能を活用してゼミ生に自由に日々の雑感などを投稿してもらうことにしました!

志望者のみなさんには、座談会では伝えきれなかった河野ゼミのふだんの雰囲気やそれぞれのゼミ生の人柄(!?)を把握する場として参考にしていただければ幸いです。また座談会に出席できなかった方向けに座談会のダイジェストや多かった質問への回答なども投稿していこうと思います。ぜひご活用ください!

ゼミ選考期間終了後もふだんの様子等いろいろと発信していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。それでは…

15期の皆様、御卒業おめでとうございます

久しぶりの更新になります。また、私自身、恐らく最初で最後の更新かもしれません。16期web担当の者です。

 

誰目線に向けて書けばいいかもよく分からず、先生と15期と同期の皆様はご存知の通り、面白い話ができないので、つまらないブログになりますが最後まで読んでいただければ幸いです。(最初から、堅すぎるとか、だからつまらないんだよって声が今にも聞こえてきそうです)

 

ちなみに何故、更新することにしたかと言うと、OB会等で学生コラムはどうなったのかというお話を時々耳にしたりしていて、正直に言えば、一度も更新をしなかった罪滅ぼしみたいなところもあります(笑)。就活が上手くいかない現実逃避も少し含んでいるのかもしれません。急に暗くなるのでこの話はやめましょう。

 

さて、3月25日をもって15期の先輩方が御卒業をされました。

まず、15期の皆様、御卒業おめでとうございます。

 

一次会、二次会も盛り上がり、最後も15期、16期らしい追いコンとなりました。(恐らくその後の三次会も平和に終わったのでしょう…)15期の皆様のスピーチでは、泣きながら話す人、最後の最後まで笑いを取りに行く人、先輩方の個性が溢れていました。「15期は個性の塊だから」とおっしゃっていた先輩もいましたが、振り返ってみてもその通りだったなと。それぞれが、河野ゼミへの思いを語っていて、やはり良いゼミに入ったなあと改めて感じていました。

先輩方が、過去を回顧されていたので、私も何故このゼミに入ったのかを振り返ってみます。誰得だよって感じですが(笑)。

私自身は、河野先生の授業に影響を受けるとともに、オープンゼミで対応してくださった先輩に憧れたのが決定打となりました。ゼミの志望理由には、「せっかく同じテーマで学ぶなら、先輩と授業を受けて影響を受けたい」と書きました。一年間の中で「こんなに頭も良くて、性格も魅力的な人がいるのか」と感動をすれば、「お酒でここまで人格が変わるのか」と衝撃を受けたり…。それはさておき、本当に素晴らしく、また個性的な先輩に囲まれ、ゼミの志望理由通りの経験をさせて頂きました。普段のゼミはもちろん、合同ゼミの京都もそしておそらく忘れられないであろう菅平も...私だけではなく先輩方にとっても思い出になっていれば幸いです。

本当に15期の先輩方が1週間後には社会人になっているということは信じられないですね。そして今頃、先輩方は憂鬱な気分でしょう。しかし、恐らく苦労をしつつも、優秀な皆様ならご活躍をなされることでしょう。

15期の皆様、1年半、本当にお世話になりました。皆様の今後のご活躍を期待しております。

そして、また会える日が来ることを楽しみにしております。

 

 

最後に…

初期配属はもちろんバラバラで、関東圏もいれば、岐阜や神戸など全国へと散らばっていくことになるでしょう。

「集まり散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光」(早稲田大学校歌第3番)

今後も河野ゼミがOBOGの皆様が集まれる場所であることを願って。

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